池田卓哉ブログ 風光日々新(ふうこうひびあらた)

素直な心で表現する場にしよう。そんな想いで始めたブログ。

日々を味わう

気持ち良さを感じる時

心地良さに気づいた時

自然と湧いてきた気持ちが

感謝だと気づいてハッとする。

 

心地良さに感覚を向けて生きることは

自分が受けている恩恵に意識を向けて

感謝をして生きる道なのかもしれない。

 

快 不快

あるいはどちらでもない心境

生きているといろんな事がありましょう。

 

不快な気持ちを通して

ありがたみに気づく日もあります。

 

快も不快もどちらもちゃんと味わうことが

豊かさなんだと思うようになりました。

 

どちらでもない時も大切で、

何も食べていない時間も

美味しいやありがたみを感じるひとときには

必要だと思うのです。

 

食べ物だけでなく

身の回りの心地良さをしっかり味わうこと。

 

仕事のことや日常のこと

食事の時まで別のところに

意識が飛んではいないだろうか。

 

今食べていたもの、

気がついたら無くなっていた。

(無意識に食べてしまっていた。)

そんな日々では味気ない。

 

意識を向けて噛み締める。

香りを。食感を。調和を。今この瞬間を。

 

そうしてちゃんと味わうことに

意識を向けた時に初めて気づく“味”があって

そして“意味”があるように思うのです。

 

欲望に応え続ける 

貪りの先の満足は儚いものです。

 

高価なものが豊かなのではなく

豊かさに気づけること

ちゃんと味わうゆとりが

豊かさなのかもしれません。

歩み寄り

椅子に腰掛け

コーヒーを飲み

ボーッとする。

 

自分が自分に戻れる時間があると

地に足が着いてホッとする。

 

心地良い音楽を味わえたら

なお幸せ。

 

今ある豊かさを味わえる事

感じる心が

幸せじゃなかろうか。

 

貪りに偏ってる時は

ないものや不満を数えてる。

 

頭の中が忙しいと

自分がいつしか置いてけぼりで

時間ばかりが過ぎていく。

 

ひとつに集中して

終わったら次の集中。

 

紙に書いて

終わったら線を引く。

そしてまた次の集中。

 

できることを淡々と。

集中を一点に絞ると実は満たされる。

 

あれもこれもと考えると目が回る。

シンプルは心地が良い。

 

心地良さ

淹れたてのコーヒー

 

風が運んでくる季節のにおい

 

ぽかぽかした日差しの肌触り

 

揺れる草木の囁き

 

鳥の歌が聞こえてくる

 

五感を通して心を寄せれば

たくさんの豊かさ

 

辛い時だって

そんな時だから

染み入る詩や歌がある。

 

自分なりの

心地良さや幸せを感じる心があれば

何があっても大丈夫。

 

心地良さが

教えてくれる道もある気がしてる。

 

心のコンパス

私は私を肯定する。

 

そう言葉にした時 少し涙が溢れた。

体と心が反応した。

 

価値があるとかないとか

優れているとか劣っているとか

日々さまざまな判断をしながら人は生きている。

 

無意識のうちに自分自身を否定しながら

生きてきた自分に気づく。

 

自分で自分を否定しても生まれるのは苦しみ。

 

苦しみが先か

否定の言葉が先か

 

自分を責めてしまう時、悲観してしまう時

私は妄想に囚われている。

 

そんな自分に気づくことができたなら

心を鎮め 妄想を振り払いながら

生きることもできるだろうか。

 

私は私を肯定する。

 

どの方向を見て生きるかを

人は選べるのだと思う。

 

心によりどころがあると良い。

 

自分の人生を信頼する

そんな生き方に想いを馳せる。

自分の真ん中

できるだけ

良いエネルギーで

良い方向へ進まなきゃ。

 

良い側面を見て

できるだけ良い解釈をして

より良い自分を生きる。

 

そんなことを考えていたこともあった。

 

より良い自分を目指せばいずれ近づける。

そんな期待があった気がする。

 

都合の悪いことには目を背けて

偏った物事の見方をしてしまうことは

危ういことなのかもしれない。

 

 

自己肯定感とか

そんな言葉を目にすることが

増えたけれど

条件付きの肯定には強い否定が

中合わせをしているかもしれない。

 

自己肯定感を高めようとした結果

分離感を強めてしまう人もいるのだろう。

 

肯定するためにつけた仮面の下で

本心がどんな表情をしているか想像する。

 

ポジティブはポジティブで

良いのだけど

無理をして保たれる自分を

標準にしてしまうとどこか息苦しい。

 

より良い仮面を被るのではなく

仮面の下の自分に歩みよること。

 

それは癒しであり

受け入れるということ。

存在を認めるということ。

肯定するということ。

 

ペルソナが必要だった自分も含めて

自分なのだ。

「こんな自分は本当の自分じゃない。」

本当にそうだろうか。

 

仮面が悪いわけでもない。

自分が自分らしくいるために

仮面が必要なこともある。

 

最近は

より良い状態より

普通の状態をより意識し始めた。

 

戻れる

還れる

中心があるということは

安心を与えてくれる。

 

 

良いだけの人生はないし

悪いだけの人生もない。

 

より良いが基準ではなく

自分の真ん中を軸にして生きる。

 

期待の向こう側だけに

本当の自分がいるわけではないのだから。

ニュートラルな物差し

風が吹いて葉っぱが揺れている。

ただそれだけのことを眺めていただけ。

 

それでも自分の偏っていった思考を

散らすには十分だった。

 

思考に偏りすぎると

自分の物差しも

どんどん偏っていってしまう。

 

だからできるだけ

自然の物差しに自分を合わせていく。

きっとその方がありのままに戻っていける。

ご縁に生かされて

最終日から数日経ってしまいましたが

無事8回目の個展終了いたしました。

(8/2が最終日でした。)

 

ご来場頂いた方

気にかけて下さった方

どうもありがとうございました。

 

自力だけでは8回目まで

続けてこられてはいなかった。

本当に“おかげさま”なのだと感じています。

 

人の言葉、想いやエネルギー。

自力以上に生かされてることを感じています。

 

できる限りご縁は大切にしたいものです。

 

大切なことを大切にする。

シンプルなことだけど

難しいのは何故でしょうか。

 

何度も言うように自力だけで

生きているわけではありません。

 

ありがたいことに気づき

感謝をすること。

 

感謝の気持ちを示すこと。

 

それはそのままで

表現になり得る事柄だと思います。

 

初個展からの8年間を振り返って

人と出逢うことの尊さを改めて感じました。

 

観に来てくださる方がいる環境の中で

いまだに絵を描き続けていられていることは

とても幸せなことです。

 

自分があまり器用な人間ではないが故に

自分で自分を責めてしまう日々も

たくさんありましたが、

 

日々、人から頂いてるエネルギーを
本当に大事にしよう。と

そう思った時 自分との向き合い方も

考えさせられました。

 

今となっては会いたいと思っても

もう会うことができない人たちがいます。

 

それでも過去に発せられた声は

今でも消えずに残っていて

いまだに僕に力をくれます。

 

今までどれだけのものを頂きながら

ここまできたんだろう。

 

今回の展示でもそうでした。

 

今ならもう少し穏やかな気持ちで

祈ることができるのではないか。

 

今なら受け取った想いを

他の人にも伝えられるのではないか。

 

過去に添えてもらった手に

いまだに生きる勇気をもらってる。

 

色んなことが見えなくなって

もがいて もがいて

手当たり次第たくさん傷つけて

「なんでこんなに辛いのだろう。」

そんな思いから抜け出せず

自分で自分を助けられない日が

だいぶ続いたけれど

全てが終わることはありませんでした。

 

それでも「生きてて良かった。」と

そう思える日がその先にはあったことを

忘れずにいたい。

 

優しいだけでは救えないから

強くならないといけないと

自分に誓う日もあります。

 

それでも弱さを拒むことは

脆さにも繋がっていて

無意識はいつも僕に語りかけてきていました。

 

なかなか器の大きな人にはなれないけれど

清濁を合わせ呑み続けることは

自分自身を知ること

表現を続けていく意味にも

繋がっている気がしました。

 

自分が生かされてるように

自分にも生かせるものがあるのではないか。

まだまだ確信は持てないけれど

 

生きてみないとわからない今日だから

人は今日を生きられる。

今はそんなことを思います。

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