池田卓哉ブログ 風光日々新(ふうこうひびあらた)

素直な心で表現する場にしよう。そんな想いで始めたブログ。

個展のお知らせ (7/2-7/12)

 

普段から大変お世話になっている

六本木ストライプハウスギャラリーにて

9回目となる個展を開催いたします。

 

7/2-12  池田卓哉(平面)@3階ギャラリー
AM11:00-PM6:30 (最終日PM5:30まで)

日曜日休廊

ストライプハウスギャラリーHP

https://striped-house.com

 

暑い日が続きますが、

皆様どうか気をつけてお過ごしください。

内の声

部屋が静けさに包まれる時

隣にいる友の

心臓の音が聞こえてくることがある。

 

比喩でもなんでもなくて

はっきりとその音が聞こえることがある。

 

 

力強い音だなと

命の頼もしさを感じる時もあれば、

 

あまりにはっきり聞こえる音に

モノ言えぬ不安を感じることもある。

 

 

日常の中ではなかなか難しいけれど

自分の思考のスイッチを落としていって

意識を身体の感覚に寄せる時

その音は僕の中でも確かに鳴っている。

 

それは聴覚ではなくて

鼓動として伝わってくる。

 

胸の部位もそうだが

手のひら 耳の裏

特に手を当てなくても

そのリズムは感じ取れる。

 

 

お世話になっている人の

老いを感じる時

 

親しい友の病気を想う時

 

「どうか死なないで。」と

自分の内側からの

強い声にハッとする。

 

 

またね。と別れた友と

また会いたいと強く望む時

 

ああ。この感情は

自分の中の「死にたくない。」

なのだと気付かされた。

 

 

心の向かうところ

昨日は中学生の頃からの

付き合いの友と夜遅くまで

話をした。

 

彼は信念と志を持って生きている。

姿に勢いがあるのだ。

姿に勢いがある人は魅力的だ。

 

彼の生きる姿勢から

学ぶことはいつもたくさんある。

 

相手にとって何が大事か

組織にとって何が大事か

自分にとって何が大事か

様々な角度から物事をみて

 

大事なことをちゃんと

大事にできるように

努力を怠らない。

 

彼との会話の中で

 

自分自身の軸とは?

自分自身の志とは?

自分自身の信念とは?

 

何を描くのか?

どう生きるのか?

それぞれを問うた時

自分はその答えを見失っていた。

自覚はあった。

 

自分自身が大事にしてた

価値観を思い出してる時

 

初個展の時のイメージと

個展に添えた文章の1部が出てきた。

 

 

 

 

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シリーズ:濡れ鼠

タイトル:観客のいない舞台のスポットライト

 

苦しかった事 悲しかった事

今までに 寄り添った痛みが

今日は傍に寄り添う優しさに

変わりますように

 

 

人の辛さ 

人の気持ちに寄り添う表現

生き方がしたかったんだ。

 

過去の自分は

どっちを向いて生きていくのか

向くべき方向を

ちゃんと見つめていた。

 

友とのやりとりを通して

大事なことを思い出した。

 

そいでもって

いくつになっても人は

青春の頃の心に戻れるんだな。

そう感じた。

 

脳裏

何年か前に

バスキアの展覧会に行った時のこと。

 

小さな男の子が1枚の絵の目の前で

じーっとその絵を見ていた。

 

その作品は撮影OKで

そこにいた人達はスマホを取り出して

カシャカシャと音を鳴らしてた。

 

するとお母さん

「邪魔になるからこっち来なさい。」

そう言った。

 

その空間で一番

絵をよく見ていたのは

小さな男の子の方で

 

真剣に絵を観ていた人を邪魔したのは

スマホのカメラを構えてた

大人たちだと僕にはそう思えた。

 

スマホを構えてた大人たちの中に

真剣にその絵を見てた人はいたのだろうか。

 

なんだかなぁ。

 

男の子はその絵を通して

何を見ていたのだろう。

 

1枚の絵をじーっと見つめてた

男の子の集中力を今も時々思い出す。

特別な言葉

“前よりかは自分を

責めなくなったような気がします”

 

元気しているか?

気になって連絡した

弟から届いた

返信。

 

自分を傷つけたり

責めたりする以外にも

自分との向き合い方

見つけたのだろう。

 

自分が

人を励ますつもりが、

気づけば人から励まされている。

 

なんだか最近は

そんなことがたくさんある。

 

悶々と考え続けても

出せなかった答えを

今日は人から手渡された気がする。

 

あぁ。そうだった。

自分にとってそれは大事なものだ。

そんな感覚がした。

 

過去に落としてしまった大事なものを

今日は人に届けてもらった気がした。

 

展覧会をする人 しない人

舞台に立つ人そうじゃない人

そんなこと関係なく

ひとりひとりが生きている限り

何かの表現者なんだと思う。

 

 

表現は特別な人だけのものじゃない。

 

表現をしながら

生きているひとりひとりが

すでに特別だということ。

 

人から受け取った特別を

自分もまた誰かに伝えたい。

 

ああ。

自分はお返しがしたかったんだな。

恐れ入ります。

久しぶりの更新です。

 

今年に入ってからずっと

更新出来ずにおりました。

 

時々でも覗いて下さってた方が

いましたら本当にごめんなさい。

 

一定期間

閲覧できない状態の時も

ありましたが

再出発の意味も込めて更新いたします。

 

年齢を重ねては

今まで無自覚だった

“恐れ”の感情と向き合うことが

多くなりました。

 

その力は強力で

心のブレーキとでも言いますか

無自覚に行動さえも

コントロールしていたりします。

 

「あっまたこのパターンだ。」

気づいていても同じ道を

進んでしまうことがあります。

 

一度立ち止まること。

 

頭で分かっていてなお

同じ道を選んでしまう日があります。

 

感覚的に避けた上での

判断のこともあります。

 

でも人生には時に

この道は怖いな。そう

今まで避けていた道を

進むことが必要なこともあると思うのです。

 

恐れを手放せたら…

そんなことを考えていたこともありますが

 

恐れを持ったまま

そんな自分を受け入れて

生きることも大切なのかもしれません。

 

少しずつですが

えいやー。と

恐れの道を行くことができる日も増えました。

 

あっ。

この道 進んでも大丈夫なんだ。

そんな感覚を覚える日があります。

 

 

何を恐れているのか?

何故恐れているのか?

 

問いかけ続けることで

浮かび上がってくるのは

自分にとっての大切なことかもしれません。

 

人の価値観もまた

行動一つで次々とひっくり返っていく

オセロのような瞬間があります。

 

なんだかその感覚は

歳を重ねていく

楽しみのひとつかもしれません。

 

4月にはまた一つ歳を重ねました。

思いがけず友達が買ってきてくれたケーキ。

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人は時に

先の見えない暗闇を生きていますが、

そこで出会った人の言葉や行動に

思いがけずあたたかさを感じたり

光を感じたり。

 

「先がわからないことは

悪いことばかりじゃないよ。」

 

とモノ言えぬ恐れを抱えていた

過去の自分に言ってあげたい。

 

 

 

最後の日

今日 朝 目が覚めたこと

 

当たり前だと思うことさえ

誰かには叶わなかった今日

 

人との関係の中で

自分との繋がりの中で

その日はいずれやってくる

 

大切な人とのお別れの時を

受話器越しに

僕に話をしてくれた友人を想う

 

ご家族が語りかける言葉に

動けない身体 

言葉を語れない魂から

零れ落ちた涙を想う

 

2021年最後の日

ひとりひとりそれぞれに

色々な想いがあるだろう

 

感謝の気持ち

伝えたかった言葉

伝えきれなかった想い

 

いつまでも明日が続いていく

そんな気がしてしまうけれど

人生は有限なのだ

 

一瞬一瞬

1日と

日々の当たり前が

あまりにも尊い

 

自分も想いのバトンを受け取りながら

生きている

 

自分自身が誰かに

手渡す日もくるだろうか

 

どういう姿勢で

どう生きるか

今一度見つめ直す

 

悲しみも痛みも

生きているからこそ

 

2021年個人的に

死にたい程に辛い日もあったけれど

やはり生きていて良かった

本当にそう

 

自分の気が狂って

大声で喚き散らす日があっても

突き放さず

傍で見守ってくれた友人には

ただただ感謝しかない。

 

自分にできることなんて

あまりにも無力かもしれないけれど

それでも今日を

そして新しい明日を

どう生きるか考えている。