池田卓哉ブログ 風光日々新(ふうこうひびあらた)

素直な心で表現する場にしよう。そんな想いで始めたブログ。

そのままの自分で 愛ある明日へ

今日は大好きな鉛筆画の作家さん

土田圭介さんの展覧会に行きました。

 

思い返せば自分が

鉛筆画を描き始めたのも

この作家さんがいてくれたからだと

記憶しています。

 

 

陰の部分を見つめる視点は

痛みを抱える人の心に

寄り添うようでもあり

 

描かれた光には希望が込められていて

あたたかさがじんわりと優しく

自分の胸のうちに染み渡るのを感じました。

 

慈悲深く愛情深い方なんだと

作品と合わせて作家さんと

お話をさせて頂きながらも

ほっこりと感じました。

 

この世界には 自分の中にある心や

人の心に寄り添う絵を描く人がいます。

別のある人は丁寧に作った料理を振る舞ったり

また別のある人は相手と目を合わせて

にっこりと微笑んだり..。

 

人それぞれ表現する形は違えど

それぞれのカタチで表現している

人間の本質は愛なのかもしれないと

ふと思いました。

(時にそれは意図されたものばかりでなく

滲み出ているものでもあると思います。)

 

 

この数ヶ月 自分はというと

まんまと感情の波にのまれ

自分の中の肥大化した恐れに

押しつぶされていました。

 

今 思うことは、自分の中にも

愛と呼べるものがあるのならば

今一度そういうエネルギーを

大切する生き方がしたいということ。

 

愛を持って行動したり

人と関わって生きることができるなら

どんな今日をどんな自分を

生きることができるだろう。

 

愛を通して物事をみたら

壁という壁

問題という問題も

別の意味を持つのかもしれません。

 

自分の中にある愛を大切にする生き方と

本質の自分に近づく生き方もまた

同義かもしれません。

 

今日みた鉛筆画の作品もそうでしたが

光と影は表裏一体で

物事の本質はどちらか一方だけでは

ないのだと思います。

 

ついつい

足りないものばかりに

目を向けがちだけれども

不足感を埋めることで

満たされるわけでなく

 

不完全ささえ

人間みだとするのなら

 

例え何か欠けていたり

問題を抱えたままの自分でも

本当は過不足ないのかもしれません。

 

力まないからこそ込められる力が

今はあるような気がしています。