池田卓哉ブログ 風光日々新(ふうこうひびあらた)

素直な心で表現する場にしよう。そんな想いで始めたブログ。

理解

わかって欲しい。

 

そんな感情が絵を描く原動力だったことを

思い出した。

 

絵だったら本当のことを言える気がした。

 

絵でなら誰か本当の自分に

気づいてくれるんじゃないかって

誰か見つけてくれるんじゃないかって

10代の頃はそんな事を考えていた。

 

20代になって発表する場を頂くようになって

自分自身のことを

わかって欲しいという気持ちよりも

自分の作品を通して

誰かの心に寄り添える人になりたい

ってそんな事を考えてた。

 

自然現象や生き物の行動の様子などから

天気の変化を予測することを言う

“観天望気”(かんてんぼうき)という言葉を

今年の個展のタイトルにつけた訳だけれども

(人の感情と空模様が重なるような感覚から)

 

来てくださったお客様の一人から

「観天望気という言葉は

天の気を読むということでもあると思うけど

人の気を読むという意味では

今回の個展は観 人 望気ですね。」

なんてことを言って頂いて

自分が説明できたこと以上のことを

汲み取って理解してくださる方がいて

嬉しくも驚いたりもした。

 

理解してくれる人がいる時

自分という存在が許された

ような気持ちになる。

 

理解すること と

愛は繋がっているように思う。

 

だからこそ

人と分かり合えない時

価値観が違う時

相手が無関心な時

人は傷つくし

苦しみになるのだろう。

 

わかって欲しい。

理解したい。

 

そんな原動力から

最近踏み出した一歩がある。

 

人との関係を考えると

伝えなくて良いこともあるのでしょう。

白黒つけないから

続いていける関係もあるのでしょう。

 

わかってしまったからこそ

時にそれ以上先に進むことをやめる

という選択もあるのでしょう。

 

一度伝えてしまったのなら

伝える前には戻れない。

 

それでも自分自身が前に進むために

あるいは誰かのことを思って

伝えるということが必要な時があります。

 

人に理解を求める以上に

自分で自分のことを真っ直ぐに

みるということも

大事なのでしょうね。

 

 

今日はお風呂屋さんで

見かけた親子が背中を洗いっこしてた。

子は一生懸命に父の背中を洗ってた。

父はどんな思いで

子の背中を洗い流したのだろう。

 

理由は上手く言葉にならないし

何故だか分からないのだけど

気が付いたら

私の目からは涙が溢れてた。