池田卓哉ブログ 風光日々新(ふうこうひびあらた)

素直な心で表現する場にしよう。そんな想いで始めたブログ。

ここにいるよ

父に抱かれた赤ん坊が僕の目の前で

大声を出して泣いた。

 

伝わってくる情報は

命そのものな感じ。

強く真っ直ぐなエネルギーに少し目眩がした。

 

人は何故 表現をするのだろう。

 

生きている限り

なんの表現もしない者などいない。

 

差し伸べてくれる手を待つ人

助けを求める人に手を差し出す人

掴んでもらう手にようやく自分自身に

許しができる人

 

それぞれの想いの

「僕はここにいるよ。」

「私はここにいるよ。」

に耳を澄ます。

 

気がつけば春ですね。

1日1日違う草木の彩りもまた

存在を囁いています。

作品出品のお知らせ

この度 両国にあるシアターXで上演される

『Light on Tennessee Williams』に合わせて

劇場会場内の作品展示に参加させて頂きます。

 

この度、宣伝美術に携わる方に

お声かけをして頂きました。

 

展示の期間が短いのですが、

もしお近くにお越しの際は

どうぞご覧頂けましたら嬉しいです。

 

観劇は僕もこれからなので

とても楽しみです。

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壁なき演劇センター

『Light on Tennessee Williams』

2023年3月11日(土)~15日(水)

 

http://www.theaterx.jp/23/230311-230315t.php

 

https://theatrecentrewithoutwalls.org/news/『light-on-tennessee-williams』公演情報/

 

 

方を付ける

「どうしたら片付くだろうか?」

知らず知らずのうちに

お荷物になってしまったそれらは

時と共にカタチを変えてしまった

心の表れかもしれない。


“過去から未来に託した想いや希望“

”目の前に積み重なる今“

 

未決着の

目に見えない“こと” も

目に見える“もの”として

身の回りを囲んでいたりする。

 

”方を付ける“とは終わりを決めて

そこに向かっていくということ。

 

”方の付け方“を考えながら

物事をどう終わらせるかを

自分で決めるということを考えていく。

 

片付けが上手な人はきっと

仕事の片付け方も上手。

 

ひとつひとつ“方を付けて”いこう。

あらためてそう思った。

 

 

去年仲良くなった人に

今まで知らなかったアーティストと

普段聴かない曲を教えてもらって、

新鮮な気持ちで聴いた。

 

その人の感性が良いなと感じていて

もう少し仲良くなれたら良いなと思いながら

毎日のようにやりとりをしていたのだけれど、

思いがけないタイミングで

急に連絡が取れなくなった。

 

終わりは自分で

選べることばかりじゃない。

自分自身が整理されてしまうこともある。

相手なりに方を付けた結果なのかもしれない。

 

もう連絡が取れなくなってから

その人が教えてくれた曲が

また別の意味合いを持って

心に響くようになった。

 

同じ表現でも

経験によって感じることの色味や深みが

その時々で違うことをあらためて思う。

 

機械ではない人間を生きている。

不要か必要か

白黒ハッキリできないものに囲まれて

手放せないで握りしめ続けてしまうものもある。

 

それを人は“執着”と

呼ぶのかもしれないけれど、


しっかりと“自分の感情を味わう。”

そういう心の方の付け方も

あるんじゃないだろうか。

 

今はこの想いを噛み締めている。

 

心の余白

 

何を減らせるだろう?

その問いかけは同時に

大切にしたいものは何か?

を問いかけてくる。

 

何もない壁を見つめながら

汚れを拭き取っていく。

壁はずっと壁なのだが

なんだか

より本質が浮かび上がってくる気がする。

 

空間に余白が生まれると活きてくる。

日常にも心の余白を。

 

本当に大切にしたいものはなんですか?

 

 

薄味の幸せ

東北から上京してきた

血圧を気にしている友達は

お寿司にお醤油すらかけることなく食べていて

自分はなんとも不思議な気持ちに

なったのを覚えている。

 

でもそこには尊敬のような

気持ちもあったのも覚えている。

 

そんな彼も今では

すっかり東京の生活に染まって

仕事終わりには何かに取り憑かれたように

ポテチを貪っていて

スナック菓子の咀嚼音が聞こえる度に

もの言えぬモヤモヤが

私の中で渦巻いている。

 

亡くなってしまった親御さんも

血圧を気にされていて、

“ずっと我慢していた”と話していた。


「もっと食べたいもの

食べさせてあげればよかった」と

彼は言っていた。

 

彼がポテチを貪っている姿を見るたびに

彼の後悔が聞こえてくるようで

私は酷く悲しくなる。

 

きっと本当に美味しいから

食べているわけではないのだ。

 

今まで抑圧していたものに

抑えが効かなくなってしまったのだろう。

 

人には自分を保つために

感覚を麻痺させることが

必要な日もあるのかもしれない。

 

ただ刺激を求めれば求めるほどに

満たされなさは底なしになっていく。

 

人のことだと

見えるような気がするのだけれど...。

 

 

刺激の強いものばかりに

傾いていく日常が怖い。

 

贅沢なものも

たまにあるからの喜び。

 

ちゃんと薄味の幸せを

噛み締められる人でありたい。

 

人との関わりも 日常の生活も。

 

願い星

寒空の下

顔をあげて

星を見つめておりましたら

光がなんとも

ささやいているようで

 

星と言えばつい

願い事を思い浮かべるけれど

 

光の向こう側には

こちらに向けた何かの想いが

あるんじゃないかって

そんな気持ちになって

光の囁きに今日は耳を傾けました

 

ついつい頭で考えて思考は

別のところにいってしまうけれど

 

感覚を開いて

受け取るモードに切り替えると

何も持たずとも

豊かさに囲まれてることに気づく

 

星を眺めていたら

それだけで禅のような静けさが訪れて

ざわざわした

 

光をぼんやり眺めていると

やっぱり何かを語りかけられているようで

もっともっとと聞きたくなる

星と星とを結びたくなる気持ちが

体感としてわかった気がした

 

少し自分の中から欲が出て

ひらけ ひらけ ひらけ

感覚 開け 開け 開け

 

そう小声で呟いてる中

流れ星が流れました

 

流れ星に願い事なんて

無理だろうって思っていたけれど

思いがけず実現しちゃった寒い夜

ひとり気分が高揚する

 

満足して家を帰ろうと歩き出すが

ふと振り返り際にもまた流れ星

 

幸せを願わずとも

すでに幸せな気がした

 

やっぱり寒くなると

トイレが近くなるもので

 

帰り路

トイレ トイレ トイレ

そう呟いては

これは願い事じゃないよと

訂正してる自分がいて

ひとりおかしかった

グループ展 参加のお知らせ

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ただいまグループ展に参加しております。

 

「おとなの工芸祭2022」

-東京都立工芸高校デザイン科OB・ OG展示会-

テーマ「喜び・Smile」


※同時開催=純心写真展

 

【開催日時・会場】
会期=2022年10月11日(火)~10月16日(日)
時 間=11:00~19:00/最終日17:00終了
会 場=市ヶ谷・一口坂ギャラリイ


東京都千代田区九段南4-6-1
TEL.03-3261-4515
ホームページ http://hitokuchizaka.net

地下鉄都営新宿線・メトロ有楽町線南北線 市ヶ谷駅A3出口より徒歩3分。

 

今回は

音楽おしばい“おじゃま猫”の

イメージイラストの新作を出品いたしました。