池田卓哉ブログ 風光日々新(ふうこうひびあらた)

素直な心で表現する場にしよう。そんな想いで始めたブログ。

区切り

日々感じたこと

考えたこと

制作のアイデア

日々思いつくことを書き留めておくことは

私の日常でした。

 

きっとこの積み重ねがいつか

私に気づきをくれる。

 

そう信じて

未来の自分に贈り物をしている

感覚でいたのですが、

 

良かれと思って続けていたことが

いつしか私の苦しみになっていると

気づいたことがありました。

 

過去の期待や理想

区切ることなく膨らんだ執着

気がついた時には

私は身動きが取れなくなっておりました。

 

 

 

 

世の中には色んなグループが存在します。

何を基準にどう分けるか。

 

後々のことを考えて

方向性を見据えることが

大事な視点だと思います。

 

似たような性質を持つ仲間や

全く違った特徴を持つ情報もあれば

そのもの単体が教えてくれること

何かとの関係で

物事の本質が浮かび上がるものもあります。

 

情報やものを活かすためには

仕分けた先にどんな未来を望むのか?

 

ものや情報の性質だけでなく

管理をする人の気持ちや

何を望むのかという視点が

抜け落ちてしまうと

仕分けた先で“活かす”という目的が

うまく機能しなくなってしまいます。

 

 

 

私は書くことや

人の話を聞くことが好きで

いわゆるメモ魔でありました。

 

段々とメモが溜まってきた辺りから

内容ごとに分けたい。

 

そんな欲が出てきて

それを実行する様になってから

私の場合は管理が破綻していきました。

 

内容ごとに分けて

時に重要かどうかを判断をし

いらない情報を引き算して行く。

 

洗練させていった情報の上に

新しい情報が入ってくる

カテゴリーが増えるほどに

管理する幅も増え作業が追いつかなくなってくる。

 

結果として私は

イデアや情報を書き留めるということが

非常に億劫になってしまいました。

 

完成させた(作業を終えたカテゴリーが)

また“要作業”に変わる。

 

先の先を見た時

このままではどこにも辿り着けない。

終わらない。

そんな道を歩いてることに気がつきました。

 

良かれと思ってやっていたことではありますが

贈り物ではなく

自分自身がやり残したツケを

未来に押しつけていたことに

気がつきました。

 

内容ごとに分けて

管理をするという視点は

時に自分自身に完璧さを要求してしまいます。

 

年月を積み重ねるほどに

管理するものも増え

難易度の難しいパズルになっていきます。

 

それが楽しいと感じていたこともありますが、

区切りのない大変さが

これ以上続くことを考えると

苦しみでしかありません。

 

もう今年も12月です。

また一つ大きな区切りに差し掛かっています。

 

最近ありとあらゆることの管理を

内容別→時系列に移行し始めました。

 

画像

パソコンのデータ

手書きのメモ

物理的なもの

制作のアイデア

 

あらゆるものに

時間という情報をもとに

仕分けるということをしてみました。

 

それだけのことなのですが、

管理することに

いわゆる区切りが生まれたのです。

 

食べ物に置き換えるとわかりやすいですが

食べられる期限、活かせる期限というものが

見えてくるのです。

 

これがいつの情報で

どういう時に必要だったか

ということが見えてくると

この先活かせるかどうかの

判断の指針になります。

 

内容ごとだと(情報に複数の側面があるが故に)

カテゴリー分けが難しい内容も

年代ごとに分けることで

カチッと定位置が決まるのです。

右にいったり左に行ったりしてた情報が

・いるか(その時の情報として残すか)

・いらないか(捨てる)

・別の形で活かすか(今後のアイデア、課題)

の3択になりました。

 

何かと自分の正しさに執着してたのでしょう。

時系列というそのことの

重要さに気づくのに

10年も費やしました。笑

 

区切りの大切さに気づけたことで

積み重ねていくことの

恐怖を克服できるのではないか

今はそんな気持ちでおります。

 

ブログを始めようと考え行き着いたのも

カテゴリーに囚われ完璧さを

目指すのではなく

その時その時に感性を大事にしよう

そんな想いがあったからです。

 

物事の管理だけでなく

自分自身の生き方 考え方も

時系列に沿って今を生きられたなら

今後なにかが変わる。

 

漠然とそんな気がして

今日はブログを書きました。