池田卓哉ブログ 風光日々新(ふうこうひびあらた)

素直な心で表現する場にしよう。そんな想いで始めたブログ。

足取り軽やかに

今日は靴を買いました。

緑色の靴です。

 

靴選びで悩みながら

今の自分の判断基準が

コスパがいいかどうか…だってことに

ハッとしてからは もやもやが晴れて

 

最終的には履いてる自分を想像して

「嬉しい気持ちでいられる靴はどれだろう。」

そんなことを自分に問いかけながら選びました。

 

コスパを気にして選択肢にあった靴が

実は全然履きたい靴じゃなかったことに

気付いてやっぱり驚いた。

 

思考じゃなくて

自分の心に問いかけたら

自分のアンテナに引っ掛かるものが

変わったから不思議なものです。

 

買い物を終えてからは

うちの帰るまで待ちきれずに

ベンチで履き替えて

新しい靴で歩きました。

 

「やっぱりこの靴で良かった。嬉しいな。」

そんな気持ちで歩けました。

 

 

自分の心が良いなと思ったものを

選択して生きていたいな。

 

自分の選んだ靴で歩きながら

今日はそんなことを考えました。f:id:bright-hope:20230410200526j:image

今まで自分にとっては難しかったことが

少しずつできるようになってきた。

自分には自分で許可を出して良いのだと

少しずつそう思えるようになりました。

 

少しずつ、少しずつ。

これからも前へ。

桜のにおい

人はつい

自分を大きく見せたがるけれど

 

自分の小ささを知る人は

自分以外の視点で

この世界を見ていることに気づいて

尊さを感じた春の夜。

 

友と話をしながら

何度も一緒に見てきたはずの桜が

今年は少し違って見えました。

 

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良くなるしかない

最近はお掃除をすると気分が良いのです。

 

食器を洗い終わって

濡れた流し周りを乾拭きをする。

 

場が整うと心が整う気がします。

 

「あぁ良くなってる」

汚れや 垢を落とす度に

そう呟くことが日課になりました。

 

埃は自然と積もるものです。

 

自分が意識を向けて

行動が伴った結果 場が良くなる。

 

お掃除に限らず

自分の人生に伴う行動に対して

“良くなってる方に向かってる”

そう実感しながら前に進んでいけたら

もっともっと自信を持って

生きることができるんじゃないだろうかと

最近はそんなことを考えます。

 

現代ではお掃除をしてくれるロボットは

ありますが、

お掃除を修行だと捉えた時

修行を何か別のものに

代わってもらうことはできないのでしょう。

 

「あぁ良くなってる。」

そう思える選択をしたいな。

 

 

時にはポケットにメモ紙を入れたまま

洗濯を回してしまう。

なんてことをやらかしてしまう日もあるけれど

そんな現状さえスタート地点とするならば、

そこからはもう、「良くなるしかない。」

そう思うことも わりとありかな。

ここにいるよ

父に抱かれた赤ん坊が僕の目の前で

大声を出して泣いた。

 

伝わってくる情報は

命そのものな感じ。

強く真っ直ぐなエネルギーに少し目眩がした。

 

人は何故 表現をするのだろう。

 

生きている限り

なんの表現もしない者などいない。

 

差し伸べてくれる手を待つ人

助けを求める人に手を差し出す人

掴んでもらう手にようやく自分自身に

許しができる人

 

それぞれの想いの

「僕はここにいるよ。」

「私はここにいるよ。」

に耳を澄ます。

 

気がつけば春ですね。

1日1日違う草木の彩りもまた

存在を囁いています。

作品出品のお知らせ

この度 両国にあるシアターXで上演される

『Light on Tennessee Williams』に合わせて

劇場会場内の作品展示に参加させて頂きます。

 

この度、宣伝美術に携わる方に

お声かけをして頂きました。

 

展示の期間が短いのですが、

もしお近くにお越しの際は

どうぞご覧頂けましたら嬉しいです。

 

観劇は僕もこれからなので

とても楽しみです。

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壁なき演劇センター

『Light on Tennessee Williams』

2023年3月11日(土)~15日(水)

 

http://www.theaterx.jp/23/230311-230315t.php

 

https://theatrecentrewithoutwalls.org/news/『light-on-tennessee-williams』公演情報/

 

 

方を付ける

「どうしたら片付くだろうか?」

知らず知らずのうちに

お荷物になってしまったそれらは

時と共にカタチを変えてしまった

心の表れかもしれない。


“過去から未来に託した想いや希望“

”目の前に積み重なる今“

 

未決着の

目に見えない“こと” も

目に見える“もの”として

身の回りを囲んでいたりする。

 

”方を付ける“とは終わりを決めて

そこに向かっていくということ。

 

”方の付け方“を考えながら

物事をどう終わらせるかを

自分で決めるということを考えていく。

 

片付けが上手な人はきっと

仕事の片付け方も上手。

 

ひとつひとつ“方を付けて”いこう。

あらためてそう思った。

 

 

去年仲良くなった人に

今まで知らなかったアーティストと

普段聴かない曲を教えてもらって、

新鮮な気持ちで聴いた。

 

その人の感性が良いなと感じていて

もう少し仲良くなれたら良いなと思いながら

毎日のようにやりとりをしていたのだけれど、

思いがけないタイミングで

急に連絡が取れなくなった。

 

終わりは自分で

選べることばかりじゃない。

自分自身が整理されてしまうこともある。

相手なりに方を付けた結果なのかもしれない。

 

もう連絡が取れなくなってから

その人が教えてくれた曲が

また別の意味合いを持って

心に響くようになった。

 

同じ表現でも

経験によって感じることの色味や深みが

その時々で違うことをあらためて思う。

 

機械ではない人間を生きている。

不要か必要か

白黒ハッキリできないものに囲まれて

手放せないで握りしめ続けてしまうものもある。

 

それを人は“執着”と

呼ぶのかもしれないけれど、


しっかりと“自分の感情を味わう。”

そういう心の方の付け方も

あるんじゃないだろうか。

 

今はこの想いを噛み締めている。

 

心の余白

 

何を減らせるだろう?

その問いかけは同時に

大切にしたいものは何か?

を問いかけてくる。

 

何もない壁を見つめながら

汚れを拭き取っていく。

壁はずっと壁なのだが

なんだか

より本質が浮かび上がってくる気がする。

 

空間に余白が生まれると活きてくる。

日常にも心の余白を。

 

本当に大切にしたいものはなんですか?