池田卓哉ブログ 風光日々新(ふうこうひびあらた)

素直な心で表現する場にしよう。そんな想いで始めたブログ。

無意識に吹き込む風

なんだか心がざわざわしてるのを感じて

どうしたら心が整うのか

考えながら帰り道を歩いた。

 

本屋で答えを探しても見つけられず

ベンチに腰掛け一息をついた。

 

目を閉じると少し強い風が

僕にぶつかりながら

留まることなく

どこかへ去っていくのを感じた。

 

なんだか今日は

ざわざわと風も強く吹いている。

 

思考から感覚に切り替わる時

ほんの少し前まで

自分の人生の操縦席のような

大事な場所を何か別の者に

奪われていたような

そんな怖さがある。

 

「ああ、今日は風が強いな。」

そんな認識と同じように

心を観察する。

 

「ああ、今日はざわざわしてるな。」

 

強い風を止めることが

できないように

抗うのをやめてみた。

 

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決して写真映えのする空の色じゃない。

 

それでも刻々と変化していく

何気ない空の色が

急に特別に思えて

不思議と何かが込み上げる。

 

あぁ、

見え方が変わったのだとハッとした。

 

いろカタチの変化ではなく

目に映る景色が

別の世界に切り替わる

そんな一瞬。

 

 

さっきまでざわざわしていた

心が

少し嬉しそうだった。

 

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誰そ彼 ーたそがれどきの会話ー

もしも魂を見ることができたなら

僕の魂はどんなカタチ 

色をしている?

 

ちゃんと光は放っているか?

熱を帯びているか?

 

どこからきたのかは知らない。

 

けれどもどこかへ行きたがっている。

 

どこに行きたいの?

誰に会いたいの?

何を望んでいるの?

 

これからの行き先は心に聴いて生きる。

 

思考ではなく感覚と話をする。

 

僕は僕の中に空を見つけた時

肉体と思考を超えて

なんだか透明になれた気持ちになる。

節目

30歳になりました。

(中身はまだまだ大人になりきれていませんが)

歳を重ねながらも色々なご縁のなかを

生きていることにしみじみしながら

過ごした1日でした。

 

自分の今までを振り返ると

そこには素敵な大人達がたくさんいました。

 

その素敵な大人達は

自分の感性を発揮しながら生きていて

 

その姿勢 その言葉、行動

生き方が誰かを支えていて

誰かの一部になっているのです。

 

大変なこと

予想もしなかったこと

生きていると色々なことがありますが、

 

時に誰かに支えてもらいながらも

自分にできることを探して

人は人と関わり合いながら

生きているんだと

 

良い意味での人間らしい生き方に

立ち合っては目頭があつくなったのは

そこに尊さを感じたからでしょう。

 

器用な人 不器用な人

ひとそれぞれですが

色々な人がいて

それが愛おしいなと思うのです。

 

30代の抱負は

“特別な何者かになろうとするのではなく、

自分の心に耳を傾けて正直に生きること”

 

人にもらった言葉や

過去に撒いてもらった想いの種も

今では僕の一部です。

(言い換えれば自分の一部は

その人なのかもしれません。)

 

人を大切にすることと

自分自身を大切にすること

そこに厳密な線を引くことはできず

内も外も繋がっているのでしょう。

 

きっとこれから出逢う人もいる。

 

わからないこと

決まっていない未来は不安だけど

 

わからない

決まっていない

今日を生きられる幸せを感じてる。

おかげさま

最近口の中に傷ができて

何か食べる度に

痛みを堪える日が続いていた。

 

痛みもなく

普通にご飯を食べれることが

すでに幸せだったんだなと

しみじみ思う。

 

痛みとともに

ありがたみを噛み締める。

 

食べ物ひとつ

僕の身体に入るまでに

どれだけの物語があるんだろう。

 

自分がしてることより

してもらってることの多さを思う。

 

痛みとともに

命を噛み締める。

 

痛いのも生きているからこそ。

 

それでも痛いばかりじゃない。

次第に和らぐ痛みに

安らぎと喜びを教わる。

 

日に日に

傷も癒えてきた。

 

まだ完全じゃないけれど

不思議と許されてる気持ち。

 

自力だけじゃない

身体も命も

たくさんのおかげさま。

”坐“ -土の上で人と人は向かい合う-

特別な何者かにならなければ。

 

振り返れば

そんな焦りを抱えながら

日々を過ごしていたように思います。

 

絵を描く時 作品を作る時

人前に立つ時

 

“特別なものがなければいけない“

誰に言われたわけでもないけれど

等身大の自分にNOを

突きつけ続けていたのは

きっと自分自身なんだと

今はそう思います。

 

自分の都合の良いことしか

見ようとしないで

肯定しようとしていた自分。

 

条件を満たしていないと

肯定できない自分であれば

自己否定の苦しみは

続くのだろうと思いました。

 

表現とはなんだろう?

 

自分のわからないが増えていった時

目の前に現れたこの問いは

自分と向き合うための答えをくれました。

 

 

感じたこと 考えたこと 

等身大のありのままの自分を一旦

受け入れることから

自分の表現は始まるんだ。

 

そうハッとした瞬間がありました。

 

できれば見ないで済むように

自ら塞ぎ続けていた心の洞穴から

光が差し込んだ気がしました。

 

“特別な何か”を外に求めるのではなく

自分の気持ち 感覚に耳を澄ませ

ただ素直になることが 大事なのでは。

 

それが自分の表現なのでは?

“特別な何か”はその先にあるのでは?

 

ありのままの自分に

許可を出したら

少し涙が出ました。

 

”何者かにならなければ いけない”

そうでなくとも

何かが許された気がしました。

 

わからないこと

知りたいことがあるから

話すや作るがあって良いはずで

 

わからないことを

一歩踏み出す理由にしていい。

 

わかろうとするために

内側にあるものを表に出していい。

そう思ったら少し勇気が出ました。

 

人はすでに

一人一人が特別なのかもしれません。

 

自分に素直になる。

 

言葉にするほど

簡単ではないかもしれません。

 

けれどその姿勢を忘れずにいられたなら

まだまだ自分も表現と

向き合えるんじゃないかって

その気づきは僕に希望をくれました。

 

自分の心に素直な表現をしよう。

そんな想いで始めたブログです。